2016年3月28日
住職の言いたい放題④「仏の顔も三度」
こんにちは。住職の斉藤隆雄です。
「仏の顔も三度」という諺があります。これは「どんなに慈悲深い人でも、無法なことをたびたびされると怒ること」と解釈されています。
ところがこの由来となったお釈迦様のお話は全く意味が違います。
お釈迦様が生まれた釈迦国の隣にコーサラ国という強大な国がありました。コーサラ王は過去の因縁から釈迦国に攻め入りました。その時、途中の枯れ木の下で、お釈迦様は静かに座り兵を待ちます。その姿を見たコーサラ王は「なぜ枯れた木の下でお座りなのか?」と尋ねます。するとお釈迦様は「王よ、枯れ木でも親族の木陰は涼しいものだ」と自分が釈迦国の生れであることを伝えます。それを聞いた王は釈迦国へ攻め入るのをやめ、兵を撤退させます。これが三度繰り返されます。しかし4度目には、お釈迦様も過去の因縁をさとり、兵を阻止する事をしなかったため、釈迦国は滅ぼされてしまいました。
この話の意味するところは「戦争をしない」。仏の教えは「非戦」ということです。現代の解釈とはかなり違います。
さて今の日本はどうでしょうか?
先日久しぶりに「朝まで生テレビ」を観ました。(2月27日放送)観ましたといっても録画をしておいたのを後日観たのですが。今回は「憲法改正」がテーマでした。政治家、憲法学者、弁護士、ジャーナリスト等々多彩な顔ぶれでした。専門家通しでも意見がグチャグチャでした。単純に答えを出せることではありません。
そんな中で『なるほど、確かにそうだよな』と素直に納得・同調できる意見や発言もありました。
ジャーナリストの青木理さんの発言です。『憲法第9条は人類共通の理想ではないだろうか。できる限り理想に近づけようとするのが政治であれば、今の政治は理想を無視して現実対応だけではないのか』という発言がありました。
私も青木さんが言われる通り、日本国憲法が「全人類の理想」だと思います。自衛はする。がしかし攻撃はしない。他国の戦争に参加しない。戦後、日本が歩んできた日々を継続してもらいたいと願っています。それがお釈迦様のみ心に叶うと思います。
私は、クレージーキャッツの植木等さんのご尊父であり、浄土真宗のお坊様の植木徹誠師を思い出します。戦時中、植木徹誠師は反戦僧侶でした。出征する檀家の若者に『卑怯と言われても生きて帰ってくること』『人に当たらないように鉄砲を撃つこと』などを説きました。現在であれば多くの方が理解できるこの発言も、当時は治安維持法違反で4年間投獄されました。こんな時代に再度戻ってほしくありません。
もしお釈迦さまが現代社会におられれば、『人類共通の理想である憲法第9条の非戦を堅持しなさい』とおっしゃるに違いありません。