2018年8月9日
住職の言いたい放題⑲「おかげさま考」
こんにちは。住職の斉藤隆雄です。
『仏教では、出会う人も、身の回りで起きるできごとも、すべてが、私たちに大切なことを教える仏のはからいであると教えています。』『何事も仏からのおかげさまと受け取って、前向きに生きていきましょう』これは有名な仏教教団から出版された文章の一部です。この様なお話を僧侶から聞いたり、仏教書で読んだことはありませんか?
自分にとって好ましくないマイナスな出来事であっても、それらは全て仏からのはからい。仏からのおかげさまであると、味方や受け取り方を変えることによって、プラス思考でがんばって生きていこうという趣旨です。
以前、浄土宗の学者の先生から聞いた話です。ある仏教教団の機関誌に、息子さんが暴走族に入っていて、困り果てた母親の投稿が掲載されていました。この母親はお念仏を勧められて日々お念仏をお唱えしていると、息子さんがバイク事故を起こし怪我をされました。それをきっかけに息子さんは暴走族をやめました。そしてこの母親は『これも事故のおかげです。阿弥陀様ありがとうございます。』と書かれていたというのです。
先生は、もしこのバイク事故で息子さんが死亡していたら、この母親は阿弥陀様ありがとうと言えるのか。そもそも怪我をさせるような阿弥陀様に帰依できないと結論づけています。
見方や受け取り方を変えれば、すべてが仏のはからい、すべての人が仏様というのは私たちの住む世界が浄土であり、私たちはすべて仏ということです。本当にそうなのでしょうか?
浄土宗の宗祖法然上人は、これらを明確に否定しています。私たちの住むこの世界は浄土ではありません。多くの苦しみがあります。私たちは仏ではありません。多くの煩悩に支配されている凡夫(ぼんぶ)です。私の喜びや悲しみや苦しみを、同じまなざしで、一緒に喜び、一緒に涙を流してくれるのが、私の帰依する阿弥陀様です。