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2017年12月7日

住職の言いたい放題⑮「清め」を考える

こんにちは。住職の斉藤隆雄です。

現在の高砂親方(元大関朝潮関)が若松親方だった頃ですから、今から25年位前になると思います。若松部屋に朝稽古の見学に行きました。激しいぶつかり合いの稽古が続き、力士が立ち上がることが出来なくなると、親方が『ここからが本当の稽古だ。早く立て!』と檄を飛ばします。力士は必死に立ち上がり稽古を続けます。勝負の世界の厳しさを目の当たりにした一瞬でした。途中で稽古中の力士が足首を捻りました。すると親方が『塩を撒け!』と指示しました。親方は土俵の邪気を祓い清め、怪我のないようにという思いで言われたのでしょう。相撲が神事と深い関わりがありますから、塩や酒や水で清めるのだと思います。

さて仏教はというと、法然上人は『仏教に忌(い)みなし』とお示しです。ですから「清め」というのは存在しないのです。又、仏滅や友引などの六曜も仏教とは関係ありません。しかし今現在、友引に葬儀をしません。何故葬儀をしないのかと言えば、「友が引かれる」からではありません。火葬場が休みだから葬儀ができないのです。

仏教界でも現実には色々な「お清め」がされています。葬儀の会葬御礼状と一緒に「清め塩」が同封されている場合があります。葬儀や法事の後に「清めの席」があり、「清めの酒」で献杯をしています。私は葬儀や法事での「清め」にとても抵抗を感じています。清めるということは、亡くなられた方やそのご身内の方々に失礼だと思うからです。わざわざ「清めの席」と言わなくても「お斎(とき)」とか普通に「供養の席」とか、私がよく使うのは「後席」という言葉です。お斎の席に着くと、盃(さかずき)には酒が少し注がれており、直ぐに献杯できるようになっています。こういう葬儀社のサービスも誤解を招きます。「献杯はお酒でなければ…」と思っている方も多いのではないかと思います。それぞれがお好きな飲み物で、或は故人が特にお好きだった飲み物で献杯したほうがいいのにといつも思います。