2017年7月5日
住職の言いたい放題⑬「身も心も安らかに」
こんにちは。住職の斉藤隆雄です。
人間の体は『ぼんやりとしたまどろみの中で、いい気持ちでこの世からあの世に移っていきます』と医師の中村仁一先生の著書「大往生したけりゃ医療とかかわるな」と書かれています。先生によれば、人間は臨終が近づくと呼吸が浅くなります。当然のことながら充分に酸素が体内に入らなくなるので「酸欠」状態になります。するとβ―エンドルフィンが分泌され、とても良い気持ちになります。また、炭酸ガスもきちんと排出されないため「炭酸ガス」が体内に溜まります。炭酸ガスには麻酔作用があります。ですから冒頭の通り「ぼんやりとしたまどろみの中で、いい気持ち」で安らかに死ねるよう自然の絶妙な仕組みが、私たちの体には備わっています。中村先生は老人ホームで500例以上の自然死を見てきた経験から、自然の状態で死を迎えれば、「死」は穏やかなものであると確信されています。
身体は安らかですが、心はどのような状態なのでしょうか。私たちは臨終に際して3種の執着心が生じると仏教では説かれています。家族や財産、地位、名誉等々と離れたくないという執着心、次に自分の体と離れることへの執着心が生じ、更には今の世界、現世から離れたくないという執着心が生じます。
身体は安らかですが、心は執着心で苦しんでいます。しかしお念仏を毎日実践された方には、阿弥陀様や観音様や先立たれた大切な方々が枕元に現れます。このお姿を目の当たりに見て、執着心が消えて歓喜の心が生じて心が安らぎます。
宗祖法然上人は1212年(建暦2年)1月25日に80歳でお亡くなりになりました。今から805年前です。当時は自然死が当たり前の時代です。法然上人も年明けから食事が喉を通らなくなりました。そして25日の正午頃、阿弥陀様のお迎えをいただき、静かに眠るように息絶えられました。お顔の色は鮮やかで、容貌は笑っておられるようでした。
私は心も身体も安らかに、更には極楽浄土で先立って逝かれた大切な方々との再会を果たすという夢と希望をもって、臨終を迎えたいと願っております。