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2017年3月1日

住職の言いたい放題⑩「忘れられない」

こんにちは。住職の斉藤隆雄です。
 
「ひろさちや」さんはとても有名な仏教学者です。昭和11年生まれで80歳でしょうか。以前は大学で教鞭をとり、著書もたくさんあります。仏教をとてもわかりやすく解説してくれましたので、今まではよく愛読していました。しかし、最近の著書にはかなり疑問を感じます。
 
最近、「孤独のすすめ」という著書を買いました。その中に次のように書かれています。『愛する者を失った人は悲嘆にくれて泣きます。やがて時間がたつと、悲しみを忘れて立ち直ります。(中略)愛する人を鄭重(ていちょう)に葬って、あとは忘れてしまえばいいのです。(中略)百歩譲って、僧侶が葬儀に関与することは是としましょう。けれども絶対にやってはいけないのは、その後の追善供養の法事です。一周忌や三回忌、七回忌、十三回忌…といつまでも人々が死者を忘れないようにと仕向けています。それは僧侶の金もうけのためで、人を馬鹿にしている。亡くなった人はお浄土で仏が面倒見てくれるから、死者のことは忘れなさい。それがお釈迦さまの教え』というのです。
 
私はこれを読んで、ひろさんも焼きが回ったなと思いました。非常に柔軟性やユーモアに欠けています。そもそも人は忘れたいと願っている事を忘れられるのでしょうか。悟りを開ければ、それは煩悩がありませんから忘れることができるのでしょう。しかし、煩悩のまみれた私たち凡夫は忘れたい事を忘れられないのです。私自身、今までの人生を振り返ると、お恥ずかしい人生です。忘れてしまいたいことが沢山あります。バカだったなぁと反省することしきりです。そんなこと全て忘れたいけどどうしても忘れられません。
 
更に私たちには絶対に忘れたくない事があります。先立っていかれた大切な人を絶対に忘れない。この世と極楽と住む世界が違うけれど、その方と共に生きていく。その方と強い絆でしっかりと結ばれて生きていく。その方に守られ導かれて生きていく。そんな夢や希望があるから頑張って生きていける。煩悩多き凡夫は、都合よく忘れることはできません。先立たれた大切な方を忘れることなく一緒にこの世を生きぬいていきましょう。