当山は知恩院末、鶉澤山 寂仙院 西念寺と号す。
開山は廓蓮社大譽上人と伝えられます。開山後衰退の一途をたどりましたが、当山四世中興然蓮社廓譽上人(元禄九年/1696年没)によって再興を果たされました。
現在の本堂は、鉄筋コンクリート造、屋根は銅版葺きの宝形造(ほうぎょうづくり)といった建築様式へ、先代住職二十八世實譽隆玄和尚のもと檀信徒の協力にて、(昭和五十年/1975年)5月18日落慶法要が厳修されました。
また山門・客殿・庫裡を木造にて同時期に新築し、現在に至ります。
本堂裏地には『清龍不動』と呼ばれた高さ3.3メートルほどの滝跡があり、古くから精神病などで悩んでいた人々の治療法として、近隣農村地帯より多くの老若男女が足を運んだとされています。
当時の参拝の様子として、小さな子供は両親に付き添われ、リヤカーに乗って寝具と一緒に来山し、病気平癒祈願のため白装束にて合掌・口称念仏して滝に打たれていたと広く信仰されていました。
東武鉄道開通および戦争により昭和初期には信仰が衰退し、自然消滅の結果となってしまいました。
現在では滝跡より湧水が流れ、水蓮が咲き鯉なども多く泳ぐ池となっています。